Know TOHOKU 知るは、チカラになる。 被災地のいまを、知るために Know TOHOKU 知るは、チカラになる。 被災地のいまを、知るために

#あれから私は #これから私は

あの日から、10年。
震災復興はどうなったのか。
これから取り組むべき課題は何か。
それぞれの人にとっての3.11。
この10年間のなかに、
この先の時代を生きるヒントがある。
#あれから私は #これから私は

あの人の10年

  • DEAN FUJIOKAミュージシャン2011年3月11日、私はインドネシアで1stアルバムを制作していました。スタジオにいた私は、テレビのニュースで、故郷福島を含めた東日本全体で未曾有の災害が起きている事を知りました。その映像が何かのフィクション映画の様にしか思えず、現実として受け入れるのに時間がかかった事を憶えています。日本と音信不通の日々が続き、複雑な感情の中、当時Pricelessという曲を作っていた私は、今自分に出来る事は目の前の楽曲を完成させる事だけだと理解しました。そして、困難を強いられているであろう方々に向けて、予定になかった歌詞を、急遽加える事にしました。

    「ねえもう少しだけ 涙こらえて 願い叶うまで 負けないでいてね」

    #あれから私は 日本でも活動するようになりました。今思えば途切れていた故郷との縁が、震災を機に再び繋がったような気がします。

    #これから私は 引き続き故郷の為に出来ることを模索し、実践する中で、この縁を未来へと繋げたいと考えています。
  • コロッケタレント神様は私達を見捨てたのではないか

    被災地に行った瞬間感じた事です。炊き出しを持って避難所を回り、延1万人の方と話をし写真を撮りました。現地でものまねはやってはいけないと思いましたが被災者の方々から「あの日から笑う事ができません。」と言われ私のできる事は笑顔を届ける事ではないかと思いました。その時の被災者の方々の笑顔と笑い声ははっきり覚えています。少しでも役に立たなければと強く思いました。
    その後回る度に炊き出しとものまねをお伺いを立てながらやらせて頂き、支援できる事はやらねばと「ものまねキャラバン」を立ち上げてボランティア活動を続けています。
    10年たった今、コロナ禍で現地に行ったりボランティアコンサートなど出来ない事が不甲斐無いです。

    神様は私達を見捨てないと信じたいです。現地の方々が少しでも光をみられるように多くの人が手を取り合う事が必要ではないでしょうか。風化させないよう皆で頑張りましょう。
  • なすび俳優東日本大震災から十年が経過しますが、この十年、故郷の福島県だけではなく、岩手県や宮城県にも実際に赴き、私なりに被災地の変遷に目を向けて参りました。

    月日を経て、必要とされる支援や応援の形にも変化を感じつつ、東北に元気と勇気、夢と希望を届けたいとエベレスト登頂に挑戦しました。

    又、近年、日本各地で様々な災害が発生しており、東日本大震災の時の応援への恩返し、困った時はお互い様、そんな思いを原動力にし、幾つかの被災地でボランティア活動にも参加してきました。

    福島県は原発事故の影響もまだまだ色濃い中ですが、去年、環境省から福島環境・未来アンバサダーに任命された事もあり、風化を防ぎ、風評被害の払拭により一層力を尽くさねばとの決意も新たに、これからも福島と東北と共に歩み続けて参ります。
  • 後藤正文ASIAN KUNG-FU GENERATION東日本大震災はとても大きな転機でした。
    僕は運良く、この時代を生き延びました。

    この命を誰かのために使って、生き直したい。

    そんな思いを抱いたまま、これからも歩んでゆけたらと思います。
  • 山口勝平声優まだ、10年。。。
    もう、10年。。。
    感じ方や想いはそれぞれだと思います。
    だけど、忘れない。ずっと忘れてはいけない事だと思っています。
    訪れた事のある町の皆さんは元気にしていますか?子供達も大きくなった事でしょうね。
    皆さんに会いに行って逆に元気と勇気をいただいた事、高台から見た海や町。何かの折り折りに、ふっと思い出します。
    この状況下、今は気持ちを寄り添わす事しかできませんが、またいつかみなさんに会いに行きたいです。
  • 狩野英孝芸人震災から10年。思う気持ちは人それぞれだと思いますが、あっという間の10年と感じています。あの日、地元栗原市は震度7の揺れを記録し、地震の揺れで実家の神社の灯籠が倒れたり、屋根の瓦が落ちてきたりと被害を受けました。東京にいた僕は、親と連絡が取れず、どうしたらいいか分からず1人でパニックになってたのを最近の出来事のように感じています。

    震災後、すぐに地元に帰り被害にあった方々にお会いしに行ったはいいものの、何て声をかければいいんだと思っていた僕に、皆さんから「頑張ってね!テレビ見てるよ!」など、逆に応援のお言葉を頂きました。自分がどんな状況でも、他人を応援する東北の方々の優しさと強さを感じました。

    完全に復興するにはまだまだ時間はかかりますが、僕達が震災で起きた事を風化させないよう微力かもしれませんが20年30年かかっても貢献し、僕を育ててくれた東北に恩返ししていきます。
  • 時松隆光ジャパンゴルフツアー選手会 選手会長当時の僕はまだ福岡の高校生でした。
    震災は練習への移動中にニュースで知り、被害の大きさに驚いて、コンビニなどで何度も募金を行った記憶があります。

    僕にとって福島は特別な場所でもあります。初優勝は2016年のダンロップ・スリクソン福島オープン。その大会で優勝できたので今の僕があります。

    昨年からは選手会長。それも最初の仕事は東日本大震災の復興支援活動で、岩手県・宮城県・福島県へ訪問させて頂きました。
    言わば人生を変えてくれた地でもあると思っています。これからも東北の皆さんの気持ちを胸に、震災のみならずコロナにも打ち勝っていけるよう、ジャパンゴルフツアーと共に、一生懸命頑張っていきたいと思います。応援よろしくお願いします。
  • 今野泰幸プロサッカー選手あれから10年経った今でも、あの時の衝撃は鮮明に残っていますし、あの恐怖というものがどんなに恐ろしいものだったかと想うと、忘れることはできません。
    僕自身は東京の方に居ましたが、実際に被災した方々というのは、本当に多くの傷を負われたと思います。命を失ったり、仕事を失ったりというその傷は、10年経った今でも薄れることはないと思います。
    もう忘れることはできない出来事ではありますが、いつかは立ち直らなければいけません。
    僕も東北で生まれて、地元を愛していますし、幼い頃から学んできた東北人の我慢強さや負けず嫌いな部分、そして結束力の強さは東北人の良さです。今もコロナ禍で世の中が大変な状況の中、本当に大変な思いをされている方が沢山いると思いますが、東北人魂で結束して、手と手を取り合い、みんなで乗り越えていかなければいけないと思っています。
    すべてを乗り越えて、遠くから活気づけてくれることを祈っています。
  • HIROKIORANGE RANGE震災当日、沖縄でレコーディングをしていました。外界から遮断されたスタジオから出て、携帯電話を開くと世界は一変していました。

    あれから私は、ずっと自分に出来る事を考えています。
    出来ない事の多さに苦悶しながらも、3月になると出来る限り東北へ足を運び、音楽を通して関わりを続けています。
    頭の中での整理整頓よりも、現地での一瞬の笑顔で全てが解決する事がある。そんな経験が“今”を作ってくれている。
    知識と少しの行動力を持って、これからも、自分と自分以外の人々を笑顔に出来るよう欲張っていきたいです。
  • 柏原竜二元陸上選手10年前、地元が被災し、「家族は大丈夫なのか?」「知り合いは大丈夫なのか?」といろんな恐怖を感じながら大学生の私は埼玉で生活をしていました。「自分にできることはなにか?」を考えた結果「帰るのではなく、走り続けること、活躍する姿を見せ続けること」を選びました。

    10年間、今でも「誰かに何かを届けられたのだろうか?」と不安になることはあります。これからの私はもう現役を引退して当時みたいに活躍する姿は見せることができませんが、これからも誰かに寄り添い、一緒に東北や福島を盛り上げていきたいと思います。
  • ナオト・インティライミシンガーソングライター2010年4月にデビューし、その11ヶ月後に東日本大震災が起きた。
    10年間の活動を振り返ると、ずっと「震災」「復興」と向き合ってきたと感じます。
    一時的な支援ではなく、石巻や陸前高田、大船渡に定期的に通って行く中で、その時必要なことを形にできないかと考えてきた。
    戻ったものもあれば、戻らないものもあり、この先戻ることなく変化していったものもある。
    先人たちもまた知恵を絞って、逆境から新しい何かを作り上げてきたのであろう。
    1000年に一度の大災害は1000年おきに来るわけではなく、明日にでもまた起こる可能性はあるという危機意識は常に持っておくべきなんだろう。
    たくさんの命が奪われた大震災。大切な歴史の証人として後世に伝えていかなければならない。

    いつでも反射的に手を差し伸べられるような人間であり続けたい。
  • 中村憲剛元プロサッカー選手震災当時、陸前高田市の学校の教材が全て流されてしまったと聞き、川崎フロンターレで川崎市内の小学生向けに作成していた計算ドリルに選手のサインを入れた800冊を持って行ったのがきっかけで始まった陸前高田市の皆さんとの交流。
    そこから毎年選手全員で通い続けること10年。今や第二のホームタウンとなりました。当初はフロンターレが支援するという形でしたが、陸前高田の皆さんにも川崎へ来てもらったり、スタジアムで出店してもらったりといつしかお互いが支え合う関係になりました。陸前高田の皆さんに元気や勇気を届けるつもりが逆に皆さんの明るさ、強さに励まされ元気をもらってきました。
    この10年で数多くの思い出をみなさんと築いてきました。これからも復興に向け共に歩んでいきたいと思います。
  • 泉谷しげるアーティストあれから10年か
    漫画家の生原稿やグッズ等をオークションにかけて東日本大震災の支援金を創る~なンぞの発想など自分には無かったな
    大友克洋と浦沢直樹の“熱量”に打たれて音頭取りを引き受け、緊急にイベントを開催し、ヤフーオークションで集まったおカネを「iPad」に替えて、被災地に持ってっただけだ。日本を代表する漫画家たちの心意気に触れられた感動的な出来事だったなぁ

    以来、自分の中にあったハズの“物欲”がドンドンなくなり…酒もタバコもヤメた。10年間、新しい服ほとんど買ってないからな
    自慢は、この10年マッタク風邪ひいてない亊だよ。コロナに負けないカラダを手に入れた気がしてる
  • 広瀬香美音楽家「困難な時こそ夢を持ち続けることの大切さ」
    生きていく中で、うまくいかないこと、自分の力じゃどうにもならないこと、たくさん経験してきました。悩み、落ち込み、前に進めない自分は嫌でした。
    ただそのたびに、「夢を持ち続けること」が私の生きる希望となり、立ち上がることができました。
    東日本大震災から10年。
    あの時も、そしてこれからも私は、歌を届けていきたい。そして自分の歌で誰かの夢を応援していきたいです。
    「夢」がこれからの未来を照らす光になると信じて歌い続けていきます。
  • ゆずミュージシャンあれから僕たちは、東北の皆さんに音楽でエールを届け続けていきたいという想いから、 一過性ではなく“またあおう”という約束を 10 年間守り続けてきました。
    これから先の 10 年も、変わらず“またあおう”という約束を東北の皆さんと重ねながら、 僕らの音楽を通して、これからもより絆を深めていきたいと思っています。
  • 荒川静香プロフィギュアスケーター3月11日から10年。
    震災の記憶を風化させないことが大切だと思っています。
    私自身、2011年から東北の農家さんを定期的に訪れています。甚大な被害を受けた土地を愛して復興に尽力する人々の強さ、東北の人々の粘り強さを目の当たりにし、こんなに人って頑張れるんだと、励ましに行ったつもりが逆に元気をもらってしまうくらいです。
    2月13日には福島県沖を震源とする地震、また昨年から続いているコロナ禍で大変な状況が続いていますが、常に今の状況を知ろうとすること、自分には何が出来るかを考え、出来ることから始めることが必要なのではないでしょうか。
    私も自分に出来ることをこれからも続けていきたいと思います。
  • 中村正人 吉田美和DREAMS COME TRUE音楽が全ての私たちにとって
    当時、音楽に何ができるのかと自問自答の日々。
    そんな中ラジオから流れた『何度でも』が多くの方の力になったと知る。
    その時は役立たずでも、いつか誰かの心の中で流れ、誰かの支えになってくれるような音楽を、これからも作り続けるという覚悟と共に歩んだ10年。
    あなたの心に私たちの詩(うた)が届きますように。
  • 石川遼ジャパンゴルフツアー選手会 副会長もう10年になるんですね。私はその時、試合でアメリカに居ました。ちょうどスタートする前で....
    あれだけの災害ですから、私もショックを受けましたし、向こうの選手も皆んなスゴく心配してくれて....
    日本に帰ったら、自分がどんな支援や手助けが出来るのだろうか...をニュースを見ながらずっと考えてましたね。

    この10年の間に私生活では結婚もしましたし、アメリカにも4年間くらい行っていて、人との繋がりがこんなに大切な物なんだと、あらためて実感しました。だからコロナには負けたくないですし。これからも僕を含め、ジャパンゴルフツアーを応援してくれる皆さんの為にも、一生懸命、全力でプレーして行きます。
  • 長友佑都プロサッカー選手あれから10年、その間に私は親になりました。
    生命の尊さを改めて感じ、生かされていることに感謝をしながら、被災された方に少しでも勇気を届けたいと改めて思います。
    今日では震災だけに限らず、台風やコロナなど苦難に立ち向かわないといけません。しかし、僕たちは想いを発信したり、人と会話したり、応援されていることを知り、一人じゃない=みんなで未来に向かって進むことができます。

    日本の皆さんからの声援が僕たちアスリートに届く様に、僕たちからも皆さんを応援し続けたいと思います。東日本大震災を決して風化させず、これからも助け合いながら生きていきましょう。
  • 西川貴教アーティスト新型コロナウイルスの影響で遠い記憶のようになっていますが、東日本大震災から10年目を迎え、改めてご遺族の皆様ならびに被害に遭われた全ての皆様に心からお見舞い申し上げます。
    未曾有の事態に日本だけでなく、世界の誰もが辛く苦しい日々を送る中で、何か皆さんの心に寄り添えることは出来ないか、日々思い悩んでいます。
    当時も我々のような者が動くことで揶揄されたりもしましたが、未だ日本においてチャリティー活動に対する正しい理解がされていない現実を思い知ったのを昨日のことのように思い出します。そんな中で意思を同じくする仲間と共に立ち上げた「STAND UP! JAPAN」は、今も地道な活動を続けています。
    被害に遭われた方々を支援する為にも、1日も早い感染症の収束を願い、今できる感染症対策を徹底していきたいと思います。そして、必ず東北で会いましょう!待ってて下さい!
  • 水鳥真美国連事務総長特別代表(防災担当)兼国連防災機関長#あれから私は、国連に職を得て、東北3県を訪問。大川小学校でお嬢さまを亡くされた鈴木氏、多様性に富む復興を目指す陸前高田市、持続的農業を目指し福島大学農学群で勉強する学生。被災者の苦悩、復興への挑戦の声をきき、思いを肌で感じた。

    #これからの私は、コロナ禍、気候変動、地震・津波といった複合災害の時代を共に生き抜くため、多様で強靭な社会、誰一人取り残さない防災が世界の隅々で実現することを目指す。東北、日本の方々とともに。
  • 佐々木彩夏浪江女子発組合あの時中学2年生だった私はもうすぐ25歳になり、同級生たちの中にはもう母親になっている友達もいます。
    この10年で私たちが見てきた景色、感じてきた気持ち、みんなで繋いできた思い。
    それを忘れないこと。そして次の世代に伝えていく立場なんだと感じています。

    私は浪江女子発組合というグループを通して、復興が進みどんどん素敵な街になっていく姿や前向きな地元の皆さんと出会い日本の強さを知ると共に、復興がいかに大変なことかを知りました。
    普段の生活の中で常に復興を意識することは難しいかもしれませんが、私たちアイドルも皆さんが復興を意識するきっかけになれるような活動をしていきたいと思っています!
#これから私は

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【図解】東日本大震災から10年の
歩みと未来

この10年で、日本に起きたこと。
そして今、私たちが抱えている課題とは。
さまざまなデータや出来事をビジュアルで
わかりやすくお伝えします。
3.11企画
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